時間を生み出す努力をして改めて自己リーダーシップの重要性を再認識
私は時間を上手に使うのが苦手だ。
妻を見ていると、きちんと予定表を書き、実行すべく努力し、最後に確認し、喜んだりがっかりしている。すごいと思う。
時間管理が苦手
考えてみれば、昔から夏休みの宿題は最後の数日で泣きながらがんばって、結局終わったかどうか、あまり思い出せない。
予定表をきちんと作っている友達を見て、そんなの時間の無駄じゃない?などという偉そうなことさえ感じていたように思う。
そうはいっても、予定表にはあこがれていたのだろう。はりきって素晴らしい予定表を作ったこともある。しかも何度も。でもその通りには行かなかった。絵に描いたもちのような予定表には価値がなかった。
意志力が弱いためか
あるいは、予定表を実行する意志力が弱かったのかもしれない。面倒くさいことは何でも後回し、明日できることは明日使用というポリシーだったこともある。
学生時代は学校の時間が大半で、放課後も宿題もあり、いわばペースメーカーのようなものが存在した。予定表がなくても成績はそれなりに良かった。ゲームみたいだったのかもしれない。会社に属していたときも、同じだ。なぜかそれなりに評価してもらえていた。
でも今の生活は在宅時間が多い。仕事が忙しいと圧倒され、時間に支配される感がある。フリーの時間が多いと、いつの間にやら時間が過ぎて、手元に残っていない。
このままではダメだ。会社時代もそれなりに評価してもらえていたのは一面だけで、全体的には自分のマネジメント能力の弱さが周囲には悟られていたのだろうと今になって思う。
時間は平等だといわれる。影響力のある裕福な人も,立場の低い貧しい人も,使える時間は全く同じだからだ。そして、裕福な人も貧しい人も,時間を貯めることはできない。過ぎ去ったら,もう取り戻すこともできない。そういう中で、自分の時間を有効に使えているように見える人がいる。それに対して自分は…。
問題の根源は?
久しぶりに「7つの習慣」(キングベアー出版)をパラパラめくってみた。「第三の習慣 重要事項を優先する」だ。こう問いかけている部分がある。
次の三つのうち自分の弱点がひとつあるとするならば、それはどれだろうか。
(1)優先順位をつけることができない。
(2)その優先課題を中心に計画することができない。
(3)計画に基づき行動するように自分自身を律することができない。
ほとんどの人は、(3)を選ぶそうだ。私もそうだ。でも、それは違う、とコヴィー博士は述べる。
弱点はどこにあるか
博士はこう看破する。
一番の問題点は、自分自身の優先順位が、深く心と頭に植え付けられていないということである。それはまだ真の意味で第二の習慣が実行できていないのだ。そして、自分のミッション・ステートメントに対してまだ本当の決意ができていないのである。
深くドーンと衝撃が響く指摘だ。
意志力だけの問題ではなかった
さらにこう続く。
多くの人は、第二領域(筆者注:緊急ではないが、重要な事柄)の活動の大切さを認めている。しかし、意志の力だけでそれらの活動を生活の中に取り入れようとしている。ところが、原則を自分の生活の中心におき、個人的なミッション・ステートメントが確立されていなければ、その努力を継続させることはできない。
ああ、そうなんだ。意志の力の問題だけではなかったんだ。もっと大切な、自分の行動や態度の「根っこ」を見つめなければならないということだ。
自己リーダーシップの問題
博士はこう続ける。
マネジメントはリーダーシップに従わなければならない。
じっくり考えるべき、真実を突いた言葉だ。
さらにこうある。
自分の中で大きな「イエス」が燃えていなければ、第三領域の楽しく見える活動や第四領域の安楽さに「ノー」と言うことはできない。
大きな「イエス」を燃やす
自分の中で大きな「イエス」が燃えているだろうか?マネジメントの前に自己リーダーシップの基盤、自分の基礎的なパラダイムを見つけ、新しい独自のビジョンを描いているだろうか?
それがなければ、
大切でない事柄に対して笑顔で「ノー」と言うほどの自由意志の力は出てこない
以上の引用は全て、「ノーと言える喜び」という見出しからの抜粋だ。
自己リーダーシップの萎えた芽に水を注ぐ
私は改めて、以前に書いたミッション・ステートメントを取り出して、じっくり眺めてみた。その時の感動、力が少しずつよみがえってきた。
それを、最近始めた「バレットジャーナル」のノートの空白になっていた第1ページ目に丁寧に書き記した。
私の萎えていた自己リーダーシップの芽に再び水をやった瞬間だ。
コヴィー博士は、「第七の習慣 刃を研ぐ」の中で、自己リーダーシップの再新再生を自らどう行っているのかについて述べている。
私の場合は、毎日聖典を読み、祈りと瞑想をすることによって、自分の精神の再新再生を図っている。それが私の価値観を表わすものだからだ。聖典の言葉について深く考えるとき、私は再新され、強められ、自分の中心を取り戻し、奉仕をする新たな決意が湧いてくる。
この分野については、私は「7つの習慣」に関係なく、ずっと努力してきて力を得てきたことがある。つまり自己リーダーシップに相当するものはあったのだ。それは自分自身の幸福感や、家族や他の人との関係においては発揮できていたように思う。でも、時間管理に、生活のマネジメントに反映するまでには真剣さが足りなかったのかもしれない。
改めて自己リーダーシップの重要性を意識するに至った。
「最良」の敵は「良い」
この記事の最後に次の言葉を引用したい。
「最良」の敵は「良い」なのだ。
一見重要に見える緊急事項、つまり「良い」ものに対して「ノー」と言えなければどうなるか。それはもっと基礎的で重要な活動、「最良」のものを断っていることになるのだ。これに関する博士の奥さんの実例も興味深い。
自己リーダーシップに基づいて時間管理を見直したことが、今、少しずつ役立って来ている。